いや、だからさ。世間にとっては、俺の周りのとっては大騒ぎだったんだろうけど、俺にとっては些細なことだったんだよ。
十年前の事でさ。あのときのテレビとか新聞とかネットとかはそりゃもう大騒ぎだったんだろうけど、俺はもうぼんやりとしか覚えてないね。
ああ、些細なことは覚えている。多分あのときの近所はそりゃ大騒ぎだったんだろうけど、俺にとっちゃ知ったこった無かった。
俺の目の前にあいつがいただけ。ただそれだけさ。
『となりの』(2001.09.28)
「こういう状態だと、なんか照れるよな」
そうつぶやきながら、俺はベッドの上にいた。天井から目をそらして周りを見ると、白を基調としたかわいらしい調度が目に入ってくる。時計、花瓶(ドライフラワーが飾ってある)勉強机の陶器の置物(確かペーパーウエイトだ)、その全てのデザインが鳥。それはよくあるファンシーな小鳥じゃなくて、雄々しい翼の成鳥というのが変わっていると言えば変わっているかもしれない。
もちろん、俺の部屋じゃない。この部屋の主は、今ベッドにいる。いや、だから俺じゃない。俺の隣でくーくー寝ているのがここの主だ。
まあ要するに、俺はこの隣でくーくーと寝ているやつを起こしに来たのだ。そもそも、俺はすでに制服を着ているし、鞄はベッドの脇に置いてある。
鳥が六時から九時の間を飛んでいる時計を見る。午前七時。そろそろ起こさないとやばい。
「おーい、起きろ」
「ん……」
寝返りを打って、初めてこっちと向き合う。まだ寝ている。頬をつついてみる。すると薄目を開けた。
「う……」
「こういう状態だと、なんか照れるよな」
俺はもう一回言ってやった。
それでもって顔をぽっとしてみせる。
これが俺の特技のひとつ、『脈絡無く自分の意志で顔を赤らめる』だ。
「う……うわあぁッ!」
部屋の中を、朝にそぐわない轟音が満ちた。
「もう最低!普通女の子の隣で寝る!?」
「はっはっは。気にするな」
「ばかぁ!」
さして長くない淡いクリーム色の髪を手櫛で解きながら、ふたりして階段を駆け下りる。あいつはすでに制服に着替えている。もちろん、着替えている間は俺は部屋から締め出されていた。
「お母さんおはよー!」
「おはよう」
明らかに二十代前半、もしかしたら十代、場所が場所ならどう見たって大学生の女性が挨拶してきた。あいつと同じ淡いクリーム色の髪で、一見姉に見えるが、姉ではない。歴とした母親だったりする。
「起こしてきました」
「ご苦労様です。紅茶入れますけど、どうですか?」
「ああ、どうも。ありがとうございます」
「すぐ食べ終わるからー!」
「ああ、急ぎすぎるなよ」
こんな感じで、あいつは食卓で、俺はリビングのソファーを借りて時間を過ごした。
ちなみに俺の方は朝食をとっくに済ませている。
「んがぐぐ……!」
なんか古典的な声を上げて、あいつが胸を叩きだした。だから急ぎすぎるなっていったのに……。
さて、あいつが朝食を食べている間に、俺の周りの事情でも説明してみよう。
二一世紀元旦。世紀の節目だってんで、大騒ぎしていた年、俺はまだ七歳のガキだった。だから、これから話す内容が少しばかり曖昧だが、まあ我慢してほしい。一応、当時の新聞とかを見れば詳しいことが載っているが、俺はあまりそっちに興味がない。
で、その二一世紀の元旦、しかもご丁寧に日本時間に唐突にそいつらがやってきた。首都東京、都庁のど真ん中。その上空に馬鹿でかい球が出現した。直径はは都庁と同じくらい。これで金色だったら下品の極みだったが、幸いなことに真っ白だった。
政府関係とマスコミが、元旦だってのにたたき起こされて猛烈な速さで稼働を始めた。
最初は都知事の例の気まぐれというきわめて楽観的な意見が出たが、その都知事の方が烈火のごとく怒って、とっとと空軍使って撃墜しろと叫んだので、気まぐれ説はさっさと消えた(どうでもいいが空軍って言うなよ)。
次にマスコミがヘリを使っておそるおそる接近を試みたが、さすがにまずいと防衛関係のヘリが飛び、マスコミを追い散らした。
で、最後にSF系の『その手の方々』が動いて、やれデス○ターだ、イゼ○ローンだ(デカ過ぎだよ)と……おっと、俺もSF好きだから忘れてた。要するにまあ、巨大な宇宙船だと騒いだ。
ここにいたって、でかい球は自分の正体を知らせないと、勝手に曲解された上、撃墜されかねないと気づいたらしい。自衛隊のヘリがライトをちかちかさせながら接近してきたとき、継ぎ目のない球面から急に日本語が流れ出したそうである。
『こちらは統一女神議会『フェアウェイ』です。今よりそちらの時間で三〇分後に記者会見を悪のツインタワー……え?違う?資料の元が漫画?だれよ、あっちの漫画持ち込んだの!――えと、東京都庁前で行います』
政府関係者はたちまち不安になった。内容も内容だが(悪の……って所で、都知事が再びぶち切れた)、声の主が明らかに年端も行かない小娘だったからである。それに気を取られて、『女神』ってところを聞き逃していた。
ここでまだいた「その手」がまた騒ぎ出した。彼らはその大半が「年端も行かない小娘」大歓迎だったからである。直ちに彼らのネットワークを通じて大議論が展開された、らしい。これまた、アー○だとか、ラア○ゴンだとか……すまん、宇宙人だと騒いでいたが、面白いことに、全文を聞き取って「女神である」という結論を得た。この時点では彼らが政府の先を行っていたのが面白い。
そんなごたごたの中で、ついに記者会見が始まった。放送通りに一人の『女神』が『降臨』してきたらしい。っていっても上空の球のように唐突にふっと現れたので、ファンタスティックでもスペクタルでも何でもなかったようだが。
年格好は女子高生。来ている格好はきれいな装飾を施された白いローブ。で、黒い瞳に淡いクリーム色の髪。まず日本人ではなかった。で、可愛い。ここで、各報道機関の大半が詰めかけた。新年云々や上空の巨大浮遊物体より、可愛い女の子を選んだのは正解といえる。
ここで、その女神はなんか色々としゃべったらしい。ただ、それが向こうの専門用語の羅列だったので、こっち側は完全に煙に巻かれてしまった。そして、最後の一言。
「という事情ですので、しばらくこちらでお世話になります」
『どういう事情だ!』
政府関係者達の怒号が各省庁を満たしたと言うが、知ったこっちゃ無い。ていうか今思えばいい気味だ。
それから十年が経つ。
さて、当時の俺の身の回りの話をしよう。こっちは今も克明に覚えている。冬の内でもかなり寒かったが、よく晴れた日だった。その前の日に例の球かららしい手紙(差出人の住所が『都庁上空』になっていたらしい)が近所一帯の届いたとかで、ちょっとした騒ぎがおき、近所の連中が一斉に俺達の家の隣に集まった。そこは住人がちょっと前に引っ越していって、当時は空き家であった家だった。俺達一家もそこに居た。というか、お隣だということでご近所の代表に据えられてしまっていた。そんななか、引越屋のトラックがやって来た。何処の引っ越し屋かまだ覚えている。『黒猫ナガト』だ。
何のことはない、普通の引越屋である。だから、大人達は拍子抜けした。今思えばその気持ちは良くわかる。いきなり自分たちの上空に例の球が出現してくる覚悟だったんだからな。
が、そのトラックから降りてきた二十歳くらいのと中学生くらいの姉妹に、白けた空気はあっと言う間に消え去った。子供の俺から見てもわかる美人姉妹というやつだった。俺の親父なんか、完全に舞い上がっていた(念のために言っておくが、上の方にである。後でお袋に蹴られた)。
降りてきた美人姉妹の姉は、ずらりと並んだご近所一団を見回すと、一番前にいた俺の親父に近づいてきた。隣にぴったりと妹がくっついている。
「初めまして。今日からこちらに住むことになりました、夏丘奈月と申します。こちらが娘の雛」
娘ときて、少しどよめいたが、とにかく雛と呼ばれた方がぴょこんと挨拶をした。
「これからよろしくお願いいたします」
奈月と名乗った女性はそう言って、親父と握手をした。
「はあ――恐縮です……」
親父はそれしか言えなかった。俯いていて、周囲には見えなかったが、見上げる格好になっていた俺には親父が思いっきり赤面しているのがわかった(何故かお袋にバレ、さっきの分と合わせて数発蹴られた)。
が、俺も親父を笑えなかった。雛ってやつが俺の目の前にやってきたからだ。何で俺に。最初はそう思ったが、後になって考えてみれば、目立つところにいたガキが俺だけだったから、雛ってやつにとっては当然のことだったに違いない。
「よろしくね」
雛はそう言って笑った。幸い、当時の俺がちっこいせいで、雛以外、誰も俺が赤面しているとはわからなかった。
「あ、これ、年賀状。新年にあげるんだよね。はい」
見てみると、何で描いたかはわからなかったが、富士を背景に赤い太陽と、例の白い球。調度良い紅白でなんだかおめでたかった。
それから十年のつきあいになる。
「ごちそうさま!」
あ、朝飯食い終わったみたいだな。
「はぁ……。昔は小さくて可愛かったのに」
朝のことをまだ根に持っているらしい。だから俺は言い返した。
「はぁ……。昔はでかかったのに」
「それ言わないで!っていうか、縮んでない!」
自分が人と違うところを言われると怒る。逆コンプレックスってやつかもしれない。普段は触れないようにしているが、小さい頃の話はもう朧気で、俺にとってあまり嬉しくない。だから言い返してしまったって方が、正しいかもしれない。
で、雛は自分でも少し声が大きいと気づいたらしい。軽く咳をしてごまかしている。
「まあとにかく、これで今月は二勝二敗だな」
要は、朝起こしに来た方が勝ちっていう、単純だがなかなかにスリリングなゲームだ。
「そうね」
さも悔しそうにそう言う。今日の俺に勝ちで、対等になったのが相当悔しいらしい。
こいつの性格は、一言で言うと「単純」。怒りたいときは怒るし、泣きたいときは泣く(滅多にないが)。ただ、神様だけあって、頭は悪くない。そう、女神というれっきとした神様。なのに、
「なぁ、毎度毎度思うんだけどな」
「飛んだり、瞬間移動したりとかはできないわよ」
見事なまでに出来ない。
「例の広報の人はどうやって降りてるんだよ」
「アレは球の方でやっているの。エレベーターみたいなものよ」
「でも、神様だろ」
「きっと名前だけよ。種族名みたいな感じの」
「自分で言って虚しくならんか?」
「なる……」
電車でがたごと揺れながらお互いにため息をついてみる。
俺達の住んでいる街と、学校のある街は歩いて行くにはちょっときついので、電車を利用している。もちろん、朝だから混む。混みまくる。
「わぷ――」
電車が大きく揺れて、雛が俺の腹に頭をめり込ませた。
「おいおい、しっかりしろよ」
「ごめん……」
俺は別に背が高い方じゃないが、雛とは頭二つ分の差がある。雛は端から見れば中学生くらいにしか見えない。
雛はあのときから変わっていない。もう十年経つが、全く変わっていない。その間に俺は、雛を見上げるから、同じ、そして今は見下ろすようになった。その辺はちょっと複雑だったりする。雛はどう思っているだろうか。一度訊いてみたいが……。
詳しくは知らないが、女神というのは、生まれるとすぐに中学生くらいになり、一段階成長して高校生くらいになり、もう一段階成長して二十歳過ぎの大人(奈月さんがそう)になるらしい。
ちなみにどう生まれるかは俺も知らない。あまり聞けない内容だしな。
まあ、それでも年は同じ(らしい)ので、俺達は同じ高校に通っている。
電車が混んできた。密着とまではいかないが、ぎゅう詰めになる。
俺の目の前には雛の頭。
なでなでなで。
思わず頭をなでてみる。調度良い高さなのだ。
「きゃ、ちょっと……」
言葉ではそう言ったが、さしたる抵抗はしない。実は混みすぎて出来ない、が正しいのだが。
だが、電車の中だったので、ちょっと周囲の目を集めてしまった。とりあえず、何もなかったように手をおろす。
「もう……」
小声で雛が拗ねた。
「玲司ってば……」
ああ、忘れてた。玲司ってのは俺の名前だ。すっかり言いそびれていたな。ちなみにフルネームで一条玲司だ。
そんなこんなのうちに、電車は目的の駅に着いた。
「よお、レイジー、雛」
電車から降りて、次はスクールバス。それから降りたところで俺達はクラスメイトの前田勝利に会った。しょうりとは読まない。かつとしと読む。一見ナイスガイで性格も良いが、実は色々なオタクだったりする。
ああ、そうだ。レイジーとは俺のニックネームだ。あまり気に入っていないが、嫌いではない。一応。
「おはよう雛、レイジー君」
その勝利の隣にいるのが松田佳枝。こちらもかえとは読まない。よしえと読む。
「おはよう、前田君、佳枝」
「……『みんな、おはよう』で一度に済ませられんのか?」
雛がそう挨拶を済ませたところで俺はそう言った。
「なにいってやがる。最後にお前が『おはよう、松田さん、前田様』と言えば丸く収まったんだよ」
「なんでお前ごときに様付けなきゃならんのだ」
「ああん?付けて当然だろ」
「……死んでこい」
「はいはい、それくらいにして」
佳枝が自分の鞄を軽く叩いてまとめる。漆黒のロングヘアにクールな表情。それだけじゃないうえに、決して外見通りの性格ではないのだが、俺達四人のまとめ役は、どんなときでも彼女だ。
「そろそろ急がないと遅刻するわよ」
「おお、これぞその手の黄金パターン!」
「馬鹿なこと言わないの勝利!」
ここだけの話だが、この二人、実はつきあっている。不思議なのはいわゆるオタク戦士(自称)の前田に対して何故佳枝という彼女が出来るかと言うことなのであるが、これはもう神のみぞ知るというやつであろう。ん?神……?
「なあ、お前あいつらがつきあっている理由知っているか?」
「はあ?」
いきなりそう聞かれて、間抜けに聞き返す雛。いや、間抜けといっては悪いか。
「ほらぁ、そこの二人、そろそろチャイム鳴るわよ」
「急がないとやばいぞ〜、まあ急いで廊下の角で運命のあの子と激突というのもオツだが……」
「なんでやねん!」
少し離れたところで、前田と佳枝が夫婦漫才をしていた。
この時間帯だけは雛が女神であると思わせる事になる。
今は体育の授業。
「夏丘!勝負だ!」
「はい!」
おそらく女神の種族的体質なんだろうが、雛は俺達以上に運動神経と能力がある。
だから、女子との体育の授業だとぶっちぎりになってしまうため、まだ、どうにか対抗できる俺達男子と体育の授業を受けているのだ。
で、それに感動したのが筋肉隆々のやたら不自然な体格の体育教師、安堂玲(よりによって俺と名前が被っている!)で、やっと自分と渡り合えるものがいたとはしゃいでいた。都合の悪いことに、雛も体を動かすことが好きなため、今日みたいにバスケの試合になると、勝負になる。
二クラス分の男子を四つに分けて、その内の二つに安堂と雛がエースになるんだから、俺達男子はたまらない。そもそも、中学生が高校生とスポーツで同等かそれ以上だっていうんだから、変な話だ。
「まあ、その分俺達楽できるからな」
「まあ、な……」
前田と二人、コートの側でギャラリる。
「にしても雛ちゃんって良いよな」
「何を血迷ったことを」
「知らないのか?最近は中学生がブームなんだぞ」
「知らん」
多分嘘だ。これ以上前田のようなのが増殖すると、地球は滅びる。
「お前もSFオタクだろ?」
SFは好きだが、お前みたいに常人以上に漫画とかは読んでおらん。
「オタクかどうか知らないが、最近のSFはあまり読まないからな」
「そうだったな。二十世紀ジョブナイルSFオタク」
「だからオタクはやめろ。で、なんの話だったっけ」
「だから、雛ちゃん良いよなって」
「ああ、あいつのどこが良いんだ?」
「全部」
「おい」
「それにあのコンパクトなかわいさが……」
「お前やっぱりそんな趣味だったのか」
「ロリコンじゃないだろ」
「いや、ロリコンだ」
「同い年じゃないか」
「そうかもしれないがロリコンだ」
「そう言うお前はどうなんだ?いつも一緒じゃんか」
形勢不利と見て矛先換えやがったな。
「俺は――」
いったん言葉を止める。俺は、
「……どうなんだろうな」
それが今の俺に浮かんだ言葉だった。
「なんだ、何とも思ってないのか。いつか貰うぞ」
嘘である。年下、後輩タイプが好きなのは知っているが(重度だとは知らなかった)、前田はなんか雛と距離を置いている。どうも俺との仲を誤解しているらしい。っていうか佳枝がいる。
「持って行け。同衾までしか進んでないからな」
「ああん?」
前田の顎が落ちる。同時に、
ばっすーん。
「んが」
同時にスピードに乗ったバスケットボールが俺の頭に命中した。雛が投げやがったな……。
「……うむ。今はそう言う関係みたいだな」
ほほう、そう解釈するか。頭をさすりながら、反撃を開始してやる。
「お前こそ、どこまで進んでいるんだ?」
「なに?」
「まあキスは済ませているとしてその先だな……」
おそらく俺は、この上ないエロい表情になっているであろう。
「な、な、な」
実は前田のやつ、こういうことは奥手なのだ。真っ赤になっている。普段はたいていのことを笑ってかわせるのだが、こればかりは駄目らしい。やつの弱点といっていいだろう。
「まあ、とりあえずは――」
ばっこーん。
「ぐか」
今度はバレーボールが高速で飛んできた。今度は佳枝だ。実は隣のコートで女子がバレーをしていたのである。にしても、聴覚がいい(らしい)雛はともかく、佳枝がどうやって聞き取ったのだろうか?後で訊いてみよう……。
「佳枝、実は女神か?」
「は?」
で、昼食時。案の定怪訝な顔をされた。
「だから変装して人間社会に紛れ込むとか」
「そんなことある訳無いでしょ!」
と、雛。
「なんだ、変装したりしないのか。お前達は」
「理由がないわよ。それに玲司達、人は誤魔化せるかもしれないけど、私達は誤魔化せないし」
「なんでだ?」
前田が口を挟む。
「お互い、直感で分かっちゃうから」
「へー」
前田と佳枝の声が重なる。
「それは俺も初耳だな」
と、俺。本当に初めて聞いた話なのだ。
「そう言えば、何で来たんだっけ?お前達は」
「さあ?あのころは子供だったからよくわからない」
「侵略じゃないだろうな」
「馬鹿なこと言わないの」
佳枝に怒られる。続いて前田が口を出した。
「そうだぞ。それに侵略でもいいだろう。女の子なんだから」
「言うと思った……」
なら止めてくれ、佳枝。
「でもね」
弁当への箸の動きを止めて、雛は続けた。
「別に喧嘩しに来た訳じゃないから。それは確か」
「そりゃそーだ」
もう十年経つんだぜ?
「も、もしかして……」
前田の箸も止まった。
「なんだ、前田」
「ロクなことじゃないわよ」
「いや、重要だ……」
「だから、なんなんだ?」
「一斉に、声優界進出……」
芸能界といわないところが前田らしいが、聞くんじゃなかった……。
「ね、ロクなことじゃなかったでしょ」
だから、わかっていたんなら、止めてくれ。佳枝!
「どうする?レイジー」
「知ったことか」
「何か対抗しないと」
「何で?」
俺達三人に聞かれて前田は一息つく。
「なんとなく、だ」
「あ、そう」
今度も同時に答えてやる。
「とにかく、一人でも対抗馬を創らなくちゃいかん」
「頑張ってね」
投げやりに佳枝が応援する。
「何を言う」
きょとんと前田。ぽんと佳枝の肩を叩く。
「頑張れ人間代表!」
「え?」
「……相手がこいつなら楽勝だな」
「ば、馬鹿!」
明らかに動揺する佳枝。前田がうんうんと頷く。
「気にすること無いぞ雛。玲司の審美眼はどこかおかしい」
「お前もおかしいだろ」
「まあ、お互い優劣付けがたいのは確かだな」
と、前田。
「なんだ、ロリと彼女の間の板挟みか」
「ああん?言うまでもないことだが、コンパクトな方が――」
尻切れトンボになる。佳枝がものすごい表情で睨んでいたからだ。前田はコンパクト、コンパクトとか言いながら頭を抱えている。
「やっぱり、佳枝の方が綺麗よ」
と小さな声で雛。
「雛だって、そうじゃない」
「そうかな?」
「お前と佳枝が同年代なら、そうかもしれないな」
「最初から同年代!」
「……体型が」
「ばかぁ」
「ちょっと」
怒り拗ねた雛(器用だ)に続き、佳枝が聞きとがめたかのように俺に言う。少し表情が厳しい。
「まだ直ってなかったの?雛のこといい加減名前で呼んであげなさいよ」
「いいだろ、別に」
「無理しなくてもいいよ」
「わかってる」
「まったくもう……甘やかしちゃ駄目よ、雛。それにレイジー、本当に名前で呼んであげなさいよ!」
……わかっているんだけどな。
「あの、俺の話は……?」
なんか前田が呟いていたが、俺は無視し、他は他で誰も耳を貸さなかった。
「おう、今日はどうする?」
「特に予定はないが」
「そうか。実は俺と佳枝はちょっと用事があってな」
「じゃあ、聞くな!」
そんなほほえましい前田とのやりとりの後、放課後。俺は雛と一緒に俺達の家の方の最寄り駅で商店街巡りをしていた。十数年前はベッドタウン、今はちょっとした交通要所のため、この街は結構大きく、比例して商店街も広い。雛は欲しかった新しいCDが見つかってご機嫌だった。俺はというと、特に買うものが無く(楽しみにしていた新作のSF小説が発売延期になったのだ)、ただ雛につきあうだけだったが、別に不機嫌になる理由はなかった(あの作家の締め切り破りはいつものことだ)。
一通り回って、ちょっと一休みしようかというとき、一歩先を行っていた雛がぴたりと止まった。
「どうした?」
「ん、あのね」
雛が控えめに指さす先、そこには淡いクリーム色の髪の女子高生……要するに女神がいた。ローブのような得体の知れない服を着ているという事は、球の方にいる女神だろう。こっちに向かって歩いてくる。向こうも気付いて、立ち止まった。
「こんにちは」
「こんにちは」
十年経っても俺達は、あの球のことは何一つわかっていない。わかっていることは、雛達みたいにこっちの社会に住む女神と、あの球に残る女神がいるということだけ。あの球の中で何をしているのかもわからない。十年前からやっている例の広報(?)役の女神はただ浮かんでいるだけで、害はないと言っていた。その真偽すら解らない。
「もしかして、ル――えと奈月さんだっけ?」
「はい、奈月です。母の名前ですよね?」
その球に住んでいる(らしい)女神は昼に雛がいっていたように、少し離れていた時点で気づいていたらしい。
「うん、そうそう。とにかく、あの人の娘さん?」
「あ、はい」
「やっぱり。あの人にそっくりだったから。あのね、昔あなたのお母さんに色々お世話になったことがあるのよ」
「あ、そうなんですか……」
雛は純粋に照れている。雛の話だと、奈月さんは若い頃、色々とすごいことをやっていたらしい。何がどうすごいのか一度聞いてみたいところだ。
「私はメイ。本当はもっと長い名前なんだけど、ゴメンね」
隣の俺にちらりと視線を移してそう言う。理由は知っているので、俺は何も言わなかった。
「えっと、あなたは……」
「雛です。夏丘雛」
「雛さんね。そっちの人はお友達?」
「はい。幼なじみです……玲司」
最後の方はこっそりと俺に言ったものだ。同時につつかれている。
「一条玲司です」
「……ずいぶんと大きいのね」
なにか、誤解をしている。
「一応言っておくが、俺は一七だ――です」
「え、留年したの?中学生なのに……」
「違う!」
論点がずれている。この女神、わざとしているんじゃないか?
「あの、遅いんです。私」
「あ……まだ、なんだ」
「はい……」
これだな。この話題に直接入りたくなかったんだ……。
「こればっかりは、頑張ってねとしか言えないの。だから、頑張ってね」
「はい」
「それじゃ。お母さんによろしく。できの悪い後輩のメイは元気だって」
「伝えておきます。あの、頑張ってください」
「ありがとう」
そう言ってローブの高校生は去っていった。
少し紅潮したまま、雛は見送る。
「やっぱり、かっこいいよね」
「俺にはわからんな」
「そう?かっこいいよ……」
「というか、何しに来たんだ?わざわざ球から」
「多分、買い物。ここら近辺、球の方じゃ人気スポットなんだって。お母さんがそう言ってた」
「……そうか」
なんか雛の声がわざとっぽく聞こえたような気がした。
商店街から少し離れた、俺達それぞれの家へ。冬だからもう陽が落ち始めて、暗くなってきている。
「なあ、奈月さんって、有名なのか」
「そうみたい。お母さん、なかなかそのことを話してくれないけど」
違う。俺の話したい内容はそれじゃない。
小さな影がよぎった。見上げると、少し遠くに例の球が浮かんでいた。アレは普段は飛行機の邪魔にならない高度でああやって浮かんでいる。で、いかにも暇そうにあちこちを飛んでいるのだ。まあ、何かしらの意味があるのだろうが。
二人して、それを見上げる。辺りには誰もいない。だから俺は踏み切った。
「なあ、シーナ」
ぴたりと動かなくなる雛――シーナ。
そう、シーナってのが、雛の本名。今の名前はこっちに来る時にシーナ、シイナ、シヒナ、雛と辿って決めたそうだ。ちなみに奈月さんはルーナだ。単純といえば単純だし、上手くいったといえば上手くいったといえる。
このことは、奈月さんと俺しか知らない秘密。
俺が名前を雛って呼ばないのは、それが理由。
子供の頃、背丈が一緒になったときに、そっと教えてくれた大事な大事な……。
「前にどっかで聞いたんだが……」
正確には、奈月さんから聞いた話。俺の背がシーナを追い越したときに聞いた話。女神は生まれてからすぐ中学生くらいになる。だが、大人になるのは俺達と同じペースで、成長するはずなのだ。
「個人差はあるって聞いたけどな」
「あるわよ」
でも気になることがある。
「なあ、本当は俺がシーナの名前知っちゃいけなかったんだろ」
「私達以外の人にはあんまり教えないようにって。旧い習慣、その程度よ。お母さんもそう言ってなかった?それともまだ聞いていない?」
確かに聞いた。けど、
「まさか、俺がお前の本名知ったから……成長が遅れているんじゃ」
……笑われた。
「まさか。そんな呪いみたいなことある訳ないじゃない」
なんか、真面目になっていた俺が馬鹿らしくなる。
「まだ私が精神的に子供だって事。ただそれだけよ」
「でもな」
「大丈夫、いつか必ず……ね」
「それなら――良いんだけどな」
「気にしすぎよ、玲司」
久々に年上っぽい目で見られた。まだ俺が彼女より小さかった頃の眼差し。
「ねえ、お母さんは本名で呼ばないの?」
「ルーナさんなんて呼べるか、小っ恥ずかしい。奈月さんの方がしっくりくるんだよ。そう言うおまえはどうなんだ?」
「普通、お母さんを名前で呼ばないでしょ?」
「ま、そーだな」
硬直と緊張は一瞬だけで、後は何かもう、普段の俺達だった。気にしたのが馬鹿馬鹿しくなると同時に、訊いておいて良かったという安堵も生まれる。いや、本当に訊いておいて良かった。
もう一度、二人してあの球を見上げた。
「人間でシーナって呼べるのって、俺だけの特権だな」
「うん、そうね」
「……シーナが成長したらお赤飯だな」
「ば、ばかぁ!」
『となりの』Fin
あとがき
この話は、去年の冬に執筆したものを加筆修正したものです。本当は挿絵が付いてとある同人誌に掲載される予定だったのですが、その同人誌の発刊そのものが立ち消えになって、長らくハードディスクの中に眠っていました。久々に見つかったときざっと読んでみて掲載してみようかなと思った次第です。
さて、今回のオリジナル、テーマはラヴコメです。自分で言っても小っ恥ずかしいのですが、書けるだけ書いてみようと思って書いてみたら、頭に近未来と異種族という、SFバリバリな要素が追加されてしまったのでした。
まあ、どちらかというと、お蔵入りになっていた設定を掘り出して、再構成したという方が正しいでしょうか。そう言う意味では今回二重の加筆修正と言えそうです。
で、ここからが笑い話ですが、その設定、再構築したらやたらと幅広く使えることが解りました。もしかしたら、同じ設定で別の話を書くかもしれません。
いやま、多分、ですけどね。
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