『再会』(2001.09.02)




 雲ひとつない真夏日のことである。神奈川県は相模原市を走るとある単線のとある無人駅。その改札口を出たところで、目元涼しい青年が本を片手に佇んでいた。二十代の縁なし眼鏡を掛けた二枚目である。
 電車から降りてかれこれ一時間は過ぎたが、彼はさして待ちくたびれた風でもなく、手にした本を読み始めた。表紙を繰り、目次をとばして読み始めると同時に、しばし鳴きやんでいた蝉の鳴き声が再開する。日陰とはいえ、太陽がかっと照りつける炎天下だというのに、青年は汗ひとつかいていない。
 無人駅であるから、当然バスターミナルなるものはない。駅の前の一本道に、ベンチとやたらと小さい時刻表が貼ってある停留所がひとつあるだけ。当然日よけなどあるはずはなく、ここから見ると、陽炎が上っていた。白い時刻表が、太陽に照らされて目に痛かった。
 何ページ繰ったであろうか。先ほどからいっこうに泣きやまない蝉の鳴き声に、車のエンジン音が混じってきた。青年は本から顔を上げ、音のする方を眺める。程なくして赤い小型車が停留所を目印にしたように停まる。すると青年は肩の鞄を掛け直して、車の方に歩き始めた。この車を待っていたらしい。車の方も、彼を見つけたようだ。運転席から彼と同じ年頃の青年が降りてくる。ただ、共通しているのは年頃だけで、体格は対照的であった。ややほっそりとした彼に対して、筋骨隆々としていて、それでいてバランスがとれている。健全なアウトドア青年、といった感じだった。ただ、五分刈りの頭が、やや凶悪な雰囲気をまとわせていたが。その五分刈りの青年は手を振ってから声を掛ける。
「おう、待ったか?」
「いや、大して」
 随分待ったはずなのにしれっとした顔でそう言う。
「そうか。ま、なんにせよ、よく来たな。天之川」
「僕は来ないと思ったかい?大山君」
ずっと待っていた細身の青年は天之川、五分刈りの青年は大山というらしい。とにかく大山は答える。
「正直言って、顔を見るまで来るか来ないかどっちか分からなかった。おまえは同窓会は嫌いだとか言ってたこと覚えていたし、その……影響を一番受けていたのもおまえだったような気がしていたからな」
「影響は僕が一番じゃない」
 天之川は即座に言葉を返した。
「影響は、みんなが同じように受けている。今日、ここに来る人たちみんな同じように」
「……そうだな」
「でもまあ、来た理由といったら、やっぱりそうなんだろうけどね」
「そうだな」
 いつの間にか車のすぐそばにある停留所の木陰に二人並んで佇んでいた。太陽が中天にさしかかろうとしている。
「ローバーミニか」
 車を眺めながら、天之川が呟いた。
「おうよ、なけなしの貯金と給料を掛け合わせてやっとな」
 うれしそうに大山が答える。
「君は運がいい。ミニは九月で生産終了だからね。新品はもう期待できない」
「ありゃ、マジかよ!?」
「マジだよ」
「修理パーツとかはどうなるんだ?」
「どうにかなるさ。ミニは息が長い車だったから」
「そうか、それを聞いて安心したぜ。それにしても相変わらずの知識量だな」
「おかげさまで磨きがかかっているよ」
「で、なに読んでいたんだ?」
 未だに天之川は本を手にしていたのである。そこで、その質問に背表紙を見せることで答える。
『あずまんが大王』とあった。
「……相変わらず中身と見てくれが一致しないヤツだな」
「最近四コマに凝っているんだ」
「ま、変わっちゃいないようだな。安心したぜ」
「君もな」
「ははっ。ところでお嬢様方二人は?」
「まだだな」
「もうそろそろ約束の時間だぞ」
「後一分足らずで列車が来る」
 時計を見ながら、天之川。遠くに列車のやってくる音が聞こえはじめる
「彼女たちなら間違いなくその列車だ」
 果たして、彼らの言う彼女たちはその列車で来た。

「久しぶりね」
「んだな、ええと……」
「なによ、もうあたしたちの名前忘れちゃったわけ?私が風見であの子が深森!」
「冗談だよ、そんなにプンプンするなって」
 本当に冗談である。大山は今でも高校時代の友人の名を網羅しているほどの記憶力の持ち主なのだ。
 風見も深森も二人ともショートで、似たような髪型をしていた。就職戦線とやらがそうさせたらしい。大山の記憶では二人ともロングであった。
「あのとき以来ですね、天之川さん」
「そう言うことになるな」
 傍らでは天之川が深森と挨拶を交わしている。
「あんまり変わってないわね、天之川君」
 大山をどけるようにして風見が身を乗り出した。
「君は中身が変わっていないようだな」
「それってどういう意味!?」
「昔通り活発で魅力的だと言うことさ」
「あら、やっぱり?」
二人のやり取りを聞いていた深森がぽつりと呟く。
「天之川さんは話し方が前と全然変わってませんね。本当に上手です」
「深森ちゃんの突っ込みの鋭さも変わってないねえ」
 汗一筋とともに大山が指摘した。

 全員の荷物をトランクに入れ、ローバーミニに四人が乗ると、定員になる。やや狭苦しかったが、誰からも文句は出ず、車は駅から出発した。
「外から見るとやたらと狭そうに感じたけど、そうでもないのね」
 助手席に陣取った風見が窓から景色を見ながらそう言った。
「だからこれにしたんだよ」
 運転席の大山が答える。
「ところで、今、なにやってるの?別れたときに進路決まっていなかったの大山君だけだったでしょ」
「そう言えばそうだったな。給料があるということは何らかの職に就いているんだろう?」
 風見の質問に天之川が同乗する。
「ああ、今はカメラマンの助手をやっている」
「そういえば、大山さんは写真撮影もカメラも好きでしたね」
 と、深森。
「ああ、卒業してから少しの間だけぷーだったんだが、ちょっとした縁でな」
「よかったですね」
「ありがとさん」
 車は相模川を渡った。渡りきったかと思うと、今度は上流に沿って上るために大きく曲がる。
「結局……」
 今度は天之川が呟いた。
「風見さんが会社員、深森さんが新聞記者、大山君がカメラマン助手で、僕が院生と、お互いやることが見つかったわけだ」
「予言通りよ」
 と風見。
「腹立たしいやら、嬉しいやら……」
 相模川の水が青から翠になるかならないかというところで、車はその川を離れた。さらに緑の深い山の方へ入っていく。広かった道が、少し狭くなった。
「私は、予言とか、そういうものを信じたことはないけど――」
 通り過ぎていく樹木一本一本をどこか懐かしむように眺めながら深森は続ける。
「それだけは信じても、いえ、信じてよかったと思います」
「ま、どっちにしても本日のメインゲストがいなけりゃ、今の俺達はいなかったかもしれないって訳だ」
 大山がそう言って締めくくった。
「ほら、見えてきたぜ」
 車はなだらかに開けた丘陵にさしかかった。碑のようなものがあちこちに立っている。霊園であった。


 話せば短い話である。
 大学のゼミでもなければ基礎演習でもない、たった半年間の普通の授業で同じ学年の五人の男女が知り合った。グループ研修と称されて、幾人かに分けられたのである。その五人のうち、一人だけが異様な光彩を放っていた。
 その授業は何のことはない、初歩的な環境学だったのだが、その一人の打ち込みようは半端ではなかった。予習復習は当たり前、グループ内で独走することもなく、常に他の四人を嫌がらせずに引っ張り続け、ついにはその授業が終わるまで、五人のグループを成績首位に置き続けたのである。ほかの四人が、個人差はあれ、その一人に興味を抱いたのは当然の結果といえよう。しかし、当の一人は授業が終わった途端、まるで今までの関わりを拒否するかのように次の授業、次の授業と渡り歩き、一人一人の接触を避けていったのである。
それで何とか彼を捕まえようというわけで、あたしら四人が一緒に行動するようになったわけ、と風見は後に述懐している。四対一ではさすがに勝ち目はなく、同時に行動するようになってさして長い時間もたたずに、四人は再び彼と接触することになった。すると彼は悪びれたところを一切見せずこう宣ったのである。
「私は後二年しか生きられない。それでも君たちは私と普通に接せられるというのかい?」
 即座に接せられると答えたのは天之川と深森であった。ごくわずか遅れて大山と風見も肯定する。すると彼は相好を崩して、ただ頭を下げたのであった。
最近どうでもいい範囲にまで使われてて、はっきり言ってあんまり使いたくない言葉だけど、あのときから俺達はあいつのカリスマってヤツに惹かれていたんだろうな、と大山は後に述懐している。
 五人ぐるみでつきあってみると、彼の異才はますます目に映りやすくなった。何事も迅速で、それでいて完璧主義。生き急ぐといった方が正しいのかもしれないが、そこには自棄の要素が見あたらなかった。
 それは自分の人生への諦めでした。でも普通の諦めと違って、すべてを投げ出した訳じゃなくて、限られた時の中で自分のできることをできるだけやる。そんな気概が見られました、と深森は後に述懐している。
 そして二年後、彼らの卒業間近、予告通り彼は逝った。結局何が彼の生命にリミッターを付けていたか聞かなかったので、その死因は四人のうちでは未だに分かっていないし、知ろうとも思っていない。
今思えば、彼は全てに自分の生命を掛けていたに違いない、と天之川は後に述懐している。

 残された彼ら四人には、今や先人となった彼からそれぞれに何かしらのものをもらい受けていた。
 予言であり、助言である。

 彼の趣味は、大山のそれと酷似していた。カメラと写真撮影である。違っていた点というと、彼の方が異常なほど深かったということであろう。おそらくその方面に詳しくない人なら、一歩退いていたに違いない。大山は彼から膨大な知識と技術を教えて貰った。それは、良き師弟といっても過言ではなかったはずである。いつかプロになれるといいね。彼は大山にそう言った。その一言は確実に大山の人生を変えた。
 性格的に言うと、天之川と彼はよく似ていた。ただ、天之川が自らの性格を忌避していたのに対し、彼は自分の性格を大いに気に入っていたのである。君はどうして自分の性格を嫌っているのにそれを変えようとしない?そう訊く彼に対して、二十年近くつきあってきた性格だ。嫌っていてもそう変えられるものではないと、天之川は答えた。すると彼は、なら、好きになればいいだろう。ありきたりだが。と切り返したのである。言葉が出ない天之川にさらに彼は、そうすれば人生もう少し面白くなるぜ。と付け加えた。天之川がどう答えたか知らないが、その後彼と彼の周りが変わったことだけは確かである。
 風見の悩みは単純であり深刻であった。この時期、風見はすでに某大手電機メーカーの内定を取得していたのだが、彼女は普通の職でよいのかどうかに悩んでいたのである。 君は普通でいることに何を恐れている。個性的でいるなと言う訳じゃない。だが、こんな事を投げ出そうかどうか考えているようじゃ、俗物、普通以下だね。彼女はそれを聞いて、手こそ挙げなかったが、罵声の三つ四つは浴びせてやったらしい。彼女が後に人事部に入社の意志を明らかにしたとき、採用担当は安堵した。彼女が内定者主席だったからである。
深森の悩みは当人同士、今では深森ただ一人しか知らない。そのためどういった内容かは分からなかったが、彼はこう答えている。気持ちは嬉しいが、私にはもう時間がない。君はもっともっとずっと長く同じ時間を共有する人と一緒にならなければならない。だから、君の気持ちに応えられない。
 その後、丸一日深森は大学に姿を現さなかったが、その次の日には何の変わりもなく登校した。彼女にどのような影響があったかは未だに解らない。

 そして、彼は四人全員に言ったものである。
「私にはもう無いが、君らは、必ず次の道を歩くことになる。マジだよ」
 しんみりとした四人を見て、彼はにやりと笑うと、ところで、君たちは恋愛はまだかい?私がいなくなればちょうど二対二で釣り合うじゃないか。同姓じゃなけりゃどの組み合わせでも問題ないしね。四人が口をパクパクさせると、彼は苦笑とともに手を振って、いや、冗談だよ。そんなに真っ赤になることないじゃないか、とさらに四人の口をパクパクさせたのであった。彼は笑ってそれを見ていた。

「おーここかここか」
 丘陵地帯の中腹、陽のよく当たる場所に彼の墓はあった。
「わぁ」
 下の景色を眺めて深森が歓声を上げる。
「いいところじゃない」
「まったくだ」
 風見の感想に、丘の麓にあった花屋で買った花束片手に、天之川が答える。
「んじゃ、記念撮影と行くか」
 大山が持っていたカメラバックからカメラを取り出した。ライカM6TTLである。レンズはズミクロン35ミリ。ある意味、基本であった。
「ちょっと、霊園で記念撮影!?不謹慎なんじゃないの?」
 風見がそう抗議する
「ここは霊園だ。古戦場や元刑場じゃない」
 大山ではなく、天之川がそう答えた。
「いやさ、五人が一緒になった写真って、別れる前の一枚しかないじゃないか。だからさ、五人が再開できた証にもう一枚って思ってよ。……やっぱ、まじいかな」
 頭の後ろを掻いて大山は訊いた。
「そんなことないですよ。ね、風見さん」
「――ん〜まあ、彼があたしらに祟るわけないしね」
「ここは霊園だ。古戦場や元刑場じゃない」
「それはさっきも聞いたわよ。いいわ、大山君。ささと撮っちゃいましょ」
「おうよ!」
そう言うなり大山がカメラバックをごそごそやり始めた。何かを組み立てているらしい。
「何をしているんです?」
 やや心配そうに大山を見守る深森。
「三脚にセルフタイマー、それともロングレリーズかい?それなら普通のカメラで良かったじゃないか」
「あいつはライカが大好きだったんだよ」
 そう答えているうちに組み立てが終わったらしい。カメラを三脚に乗せ、シャッターボタンにセルフタイマーを取り付けた記念撮影セットを、大山は肩に担いで皆から少し距離をとった。そこでまたごちゃごちゃと設定する。
「OK!準備完了だ。用意はいいか?」
 親指を立て、残りの三人が答えた。彼のOKのポーズである。
「お〜し、いくぞ〜」
 セルフタイマーをセットして大急ぎで戻る。
「あのセルフタイマーは確か十五秒間だ。まだまだ余裕が――」
「蘊蓄は後!笑え!!」
 小さなシャッター音が、四人の笑顔を時間の流れから切り取った。
 雲ひとつない真夏日のことである。



Fin





あとがき

 この小説は、去年の夏に発表されたマルチメディア研究会の同人誌『夏本』(現在入手超困難)に掲載されたものです。版数が少ない上、これ以上増刷も無いので、再掲載してよいと当時の責任者に許可をもらい、此処に発表する運びとなりました。

 この話は、いわゆる文学をちょこっと意識してみて書いてみました。結果、「いつもと毛色が違う」「雰囲気が変わっている」という意見を当時に得ましたが、どうでしょうか?私的には、いつもと同じ感じなのですが……。

 さて、今後もこれくらいの短編を載せていこうかと思います。時々こっちに熱中して、SSが遅れるかもしれませんが……その時は勘弁してください(笑)。

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