――ベジタリアン・ドッグの秘密――




 「動物のお医者さん」という佐々木倫子氏のコミック作品がある。北海道を舞台に、獣医学生の若者たちと動物たちの遭遇するちょっとしたできごとが、静かな可笑しみをもって描かれた彼女の代表作の一つである。それぞれの話の面白さもさることながら、主人公の愛犬チョビのキャラクターは大変な人気が出て、日本にハスキー犬の一大ブームを引き起こしたほどだった。この中で「シロさん」という雑種犬とその隣人に、たまたま関わることになった主人公たちの話がある。
 シロさんは毎日野菜ばかり与えられ、時には近所の家にまで入り込んで野菜の盗み食いするため、充分に食事をもらっていないのだと隣家の住人に思われている。不憫に思った隣人が内緒で肉を食べさせると、見せしめのように翌日は餌をもらえない。たっぷり肉の食べさせてもらえる人に飼ってもらう方が幸せだと考えた隣人は、シロさんを勝手に放してしまうのだが、実はシロさんは肉を食べると気分が悪くなって吐いてしまうために、好んで野菜を食べているベジタリアンだった、という話だ。
 「あの子、絶対シャントだよね」
 犬仲間が集まると、そういう話が出る。コミックでは、ただの「変わった犬」で終わっているが、シロさんの行動から推察すると、「好き嫌いの多い犬」だけでは片付けられない重大な病気が隠されている可能性があるのだ。

 私がシャントという病名に出会ったのは1993年12月のことである。正確に言えば、その時は愛犬がそんな病気であることは全くわからなかったから、シャントという言葉を知ったのは、それから1ヶ月後のことになる。

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タクの場合
〜先天性の門脈体循環シャントの例〜

 タクは1993年12月、我が家で生まれた牡のウェルシュコーギー・ペンブローク。兄弟の中で一番大きくりっぱな体格で、生後1ヶ月までは元気に遊び、母乳も良く飲んでいたので誰も異常に気がつかなかった。離乳期になって、どうにも食が細いと気付いた時、一番大きかったはずの彼は、兄弟たちより発育が遅れ始めていた。離乳食を食べたがらず、母犬の乳房を追いかけてばかりいるので、甘えん坊!と家族でからかっていたが、何かがおかしい…という漠然とした不安が広がり始めた。事実この時、彼の体内では異変が起きていたのだった。

 1度目のワクチンの時、帝王切開で彼らを取り上げてくださった獣医さんは異常に気がつかなかった。とりあえず、ちょっとおとなしい程度で異常行動は目立たなかったし、心音や熱も平常だったから仕方ない。しかし、状態は少しずつ悪化し、ついに眠ってばかりいて離乳食もほとんど食べず、壁伝いによろよろ歩くという、素人目に見てもおかしな行動が現れ始めた。

 当時、私は一般書で得られる程度の犬の病気についての知識はあったが、その状態が何を意味するのか見当もつかなかった。彼以外の兄弟全員は一緒にいても何の変化もなくスクスクと育っていたので伝染病ではないと思ったが、手持ちの犬の本を読み漁っても、同じような症状が書かれたものは一つもなかった。「低血糖かもしませんから、とにかく栄養のあるものを摂らせて下さい」という獣医さんの診断に従って、高栄養の処方食を口に押し込み、歩き回ろうとする子犬を抱きとめて体力を温存させようとするのが精一杯だった。
 処方食を与えて1日経った頃、尿が赤っぽいことに気がついた。血尿とはちょっとちがい、トイレシートの上に暗赤色の小さな粒が残る。病院にそれを持って行って見せたが、膀胱炎だろうということで抗生剤が出ただけで、容態はますます悪化していった。
 その翌日は、病院が休みだったが、タクは明け方からぐったり動かなくなり、翌日の診察までに容態が良くなる見込みは全くなくなった。朝一番で別の動物病院に連れて行き、すぐに入院させた。経過を聞き、症状を見ただけで、何が起きているのか先生にはわかったようだったが、詳しい話があったのは3日後、退院のお迎えに行った時だった。
 たったの3日で、タクは見違えるように元気になっていた。うつろな目をして涎をたらし、よろよろとあてもなく歩いていた彼が、キラキラ輝く目で私を見つめ、「遊ぼうよ!」と誘うように吠えながら飛び回っていた。
 信じられないほどの回復を喜ぶ私に告げられたのは、彼の病気が先天性のもので、治療法がほとんどわかっていないこと、おそらく成犬にまでは育たないだろうということ…「門脈シャント」「肝性脳症」という病名を聞いたのは、その時が初めてだった。

 「門脈シャント」は、正式には「門脈体循環シャント」「門脈体循環短絡症」という。門脈とは、消化管から吸収された栄養分や有害物質を含んだ血液を集めて肝臓に運ぶ血管だが、生まれつきこの血管が肝臓からそれて後大静脈につながっていることがある。犬も、猫も、人間でも起こることがある一種の奇形といえるだろう。タクの異常な様子は、これが原因だったのだ。
 肝臓に流れ込むはずの血液が後大静脈からそのまま全身に流れてしまうために、本来は肝臓で代謝されるアンモニアなどの有害物質が体中に広がり、脳に達した物質は中枢神経障害(意識障害、異常行動、嘔吐など)を引き起こす。この状態は「肝性脳症」と呼ばれる。
 血液中のアンモニア濃度が高過ぎると、尿中にアンモニア塩(尿酸アンモニウム、ストルバイト等)の結晶ができる。タクの尿中に出ていた赤い粒は、アンモニア塩だったのだ。その状態が長く続くと臓器自体もアンモニアの影響で粘膜がただれ、消化管からの出血が起きるようになる。他にも、一時的な盲目状態、涎を流す、異臭がするなどの症状も見られる。
 また、肝臓は消化管から吸収された糖類をグリコーゲンとして蓄え、全身に供給するが、これが損なわれるので慢性的な栄養不良状態となる。さらに、同様に吸収されたアミノ酸や全身で生じる老廃物から体内で利用しやすいタンパク質(アルブミン,グロブリン等)を合成して全身に供給し、全身の細胞のターンオーバー(老いた細胞が死滅して若い細胞に変わっていくこと)や体液浸透圧を保っているが、これが損なわれることにより痩せて毛艶が悪くなり、子犬の場合は発育が遅れ、浸透圧バランスが崩れるので腹水が生じてくる。しかし、肉など動物性タンパク質の多いものを食べると、胃腸で消化される時にアンモニアが多く発生するので、肝性脳症がおきやすくなる。つまり、高栄養処方食は症状を悪化させてしまうことになる。タクの身の上に起きたことは、正に肝性脳症の典型的な症状だったのだ。

 現在では、先天的に血管の異常があることに早めに気がつけば、外科的な処置で肝臓に正しく届く血流を作ることができることが多い。しかし当時はそれについての研究は日本では始まったばかりで、外科的処置はまだ成功率が低く、獣医学部のある大学の附属病院のような設備の整った所でしかできなかった。
 成功率の低い手術、まして遠くの病院まで行かなくてはならないのであれば、移動のリスクや開腹などの辛い思いをさせずに、短い一生であったとしても、家族で過ごせるようにと、自宅療養に徹することに決めた。先生が学会誌などの文献で情報収集し、アンモニアの発生を抑えるために、動物性タンパク質をできるだけ減らした食餌を与えること、アンモニアを発生する腸内細菌を減らすために、カナマイシンという抗生物質を定期的に投与することになった。

 ドッグフードはもちろん、肉も魚も食べられないとなると、育ち盛りの子犬は何を食べたらいいのだろう?退院してきたタクに、食べそうなものを手当たり次第に試す日々が始まった。タンパク源については、豆腐やおからは食べたあとアンモニア塩の結晶が尿に出ることからアンモニア値が上がることがわかり、1日約100gのヨーグルトを数回に分けて与えた。これは、腸内細菌叢(ちょうないさいきんそう=大腸菌など腸内微生物の集団)のバランスを整え、アンモニアを発生させやすい菌を増やさない効果があったようだ。その他には、米とキャベツ、人参、カボチャなどの野菜を煮込んだ「炊き込み御飯」が一番良かった。米は普通米より、当時、米の不作で緊急輸入されたタイ米の方が粘りが少ないため、食べやすかったようだ。これに、生のままのりんご、チンゲンサイの芯などの野菜・果物をおやつにしていた。
 生後半年ぐらいには食べられるものもわかってきて、タクは小さめではあるけれど普通のコーギーと同じように育った。体調は安定して、定期的な血液検査でもあまり大きな変化はなかった。つまり、当時の食餌内容と投薬は、彼の体調に合っていたといえるだろう。
 タクが2年の生涯を終えたのは、膵臓に及ぶ穿孔性十二指腸潰瘍を発症、膵液による脂肪壊死・腹膜炎を起こしたためだった。子犬の時起こした肝性脳症の異常行動は、その後1度も出ていなかったが、高アンモニア血症による粘膜損傷と物理的な刺激・あるいはプロスタグランジンによる粘膜保護作用の欠如が、潰瘍を引き落こしたと考えられる。



ニコラの場合
〜特発性肝繊維症によるマルチプルシャントの例〜


 ニコラは、2000年3月生まれの牡のウェルシュコーギー・カーディガン。県外からドッグスポーツのパートナーとして迎え入れた「期待の新星」だった。
 彼に初めて会ったのは生後3ヶ月、当時の印象は、体格はいいけどちょっと根暗かな?という感じ。兄妹たちがよその人間を珍しがって私にちょっかい出すのに対し、彼はあまり関心がない風で犬舎の隅に穴を掘って寝ていることが多かった。呼べば来るし、愛想もいいのに、活発な兄妹たちに押しのけられて引っ込み思案になっているように見えた。
 翌月、再会した時にも彼はマイペースで兄妹たちと別行動を取ることが多かった。生まれた時は一番大きくて「デカチン」と呼ばれていたのに、この時には体格は兄弟の「クマちゃん」の方が大きくなっていた。今になって思えば、この頃からすでに彼の肝臓は徐々に異変が起きていたのかもしれない。生後6ヶ月になる時、彼は私のところで暮らすことになった。
 迎えに行った時、彼は一人で庭に出してもらって大はしゃぎだった。投げてもらったボールを追いかけて夢中で走り回り、疲れると横になって、またボールで遊ぶ。「すぐにばてるけど、集中力がある子なんですよ」という、ブリーダーさんの言葉が、私の心に妙にひっかかった。しかし、時は9月の半ば、暑さでばてるのは当然だ。楽しげに走り回る様子は元気の塊のようだったし、初めてのロングドライブでも車酔いもせず、何の不安もなさそうに眠る姿に、意外に神経太いんじゃないか!と思ったほどである。

 肝繊維症による後天的なシャントが原因の肝性脳症で、5歳でこの世を去った彼について、何が原因で肝臓の繊維化がおきたのかはわからない。後から考えると、あれは病気の兆候だった、これもおかしかったのかも、思うことはあるが、大元の原因は確定できるものではない。
 先天的な血管の奇形によるものとは違って、いわゆる「肝硬変」になって門脈シャントを起こす場合、ほとんどがニコラ同様、成犬になってから症状があらわれる。肝臓に何らかの原因で絹糸のような繊維ができて血液の流れが悪くなっていき、ついには血管が入り込めなくなるために起こるので、どこかに血液を通そうとして肝臓をバイパスする血管を身体が作ってしまう。そこまでに至るにはある程度時間が経つので、気付くのに遅れることが多く、迂回する血管=シャントも網の目状に細かく枝分かれしてしまって、外科的治療ができない。従って食餌管理と薬での内科的治療で対処することになる。



門脈シャントの犬の食餌療法について

 タクと過ごした2年の経験で、私は肝性脳症の犬のための食餌療法には自信があると思っていた。実際、生後1年まで生きられるかどうかと言われた子犬は、2年の生涯を生き抜いた。
 しかし、血管の奇形という先天性の異常は変化することが少ないし、そのために起こる諸症状もゆっくりと現れるのに対し、ニコラのように肝臓の異常で起きるシャントは、肝臓の状態の変化に従ってどんどん進んでいく。つまり、ニコラの状態は常に悪化の一途をたどり、進行をいかに遅らせるかが治療の最大の目標になる。タクの時とは違った対処が必要なことは、すぐにわかった。

 第一に、彼らの食べ物の好みが違った。
 あまり変化のない病態だったタクは、米と野菜の煮たものにヨーグルトが主食。利尿作用や血液の浄化作用があるといわれるパセリを入れた自家製のりんごや人参のジュースもお気に入りだった。しかし、ニコラは最初は珍しそうに食べたものの、野菜の炊き込み御飯はすぐに食べなくなった。
 ジュースは、ビン詰の100%ストレートりんごジュースは大好きだったが、家でジューサーで作るものは飲まず、すりおろしやスライスした生りんごの方が好きだった。おまけに、りんごの種類にもうるさく、りんごでは一番流通している「ふじ」より「王林」が好き、酸味のある「グラニースミス」「紅玉」は、見向きもせず、ジュースも飲まない。同じ形にスライスした甘い「北斗」と酸味のある「ジョナゴールド」を並べて出すと、「北斗」だけを食べて、「ジョナゴールド」は口に入れると吐き出すという徹底ぶり。(おかげで、りんごの品種にはかなり詳しくなった。)
 りんごは糖分が多くてカロリー補給に向いているし、タンパク質も少ない。カリウムが多く含まれていて、腹水が溜まる傾向にある場合のナトリウム排出に役立つ。繊維質にも富むので腸内環境を整える。肝性脳症の犬にはラクチュロース(二糖類)が処方されることが多いが、これで軟便・下痢を起こす場合でも、りんごのすりおろしを食べていれば「お掃除しやすい程度」の状態を保てる。つまり、肝性脳症のおきる場合に、もっとも適した食物といえるだろう。実際、ニコラの主食はりんごだった。1日2〜4個の大きなりんごを摩り下ろして食べていたし、食欲のないときはジュースで代用した。
 チンゲンサイの硬い芯の部分は、二頭とも好きだったが、腹水の溜まるニコラの場合は、ナトリウム制限の必要があったため、ナトリウム含有量の多いチンゲンサイはめったに食べさせられなかった。
 食品成分表は、肝性脳症の在宅内科療法では必需品だ。食欲が落ちやすい状態では、飼い主はあれこれ好みそうなものを並べてしまうものだが、与える前にタンパクやナトリウムの含有量をチェックしないと、たくさん食べてしまって症状が悪化してから調べても遅い。
 腹水対策として取り入れ、ニコラがよく食べていたのは、夏野菜の冬瓜である。利尿作用があるとされ、漢方では皮の干したものや種も使われる。西洋医学に基づく利尿剤は比較的効果が強く即効性があるが、体内の水分を急速に排泄するため、有害な成分の血液中濃度も上昇してしまうので使用を避けることが多い。だが、食品である冬瓜、西瓜などの利尿作用は穏やかに効く上、犬自身も「食べる喜び」がある。ニコラの場合は、実の部分だけをスライスし、香りをつけるための薄切り肉を載せてレンジで加熱し、肉を取り除いて冷ましたものが一番好きだった。利尿作用の点から言えば、皮の方がより効果があるらしいので、好き嫌いなく食べるなら皮ごと薄切りにして加熱し、ミキサーでスープ状にするといいだろう。
 キャベツ、白菜の芯の部分もお気に入りだったが、高アンモニア血症のために消化管出血が起きるようになると、硬いものはすりおろすなどして与える必要があった。その他の食べ物としては、コーンフレーク等のシリアル類がある。
 シリアルは、成分表示が明記されているので、タンパク質とナトリウムの含有量を必ずチェックするべきである。今のところ、日清シスコで発売している「素材宣言シリーズ・紫いもフレーク」が、ナトリウム分が一番少なく、効果が出るほどとは思えない微量ではあるがアントシアニンやポリフェノールなど肝臓に良いとされる成分が原料の紫芋に含まれるのでお勧めといえる。
 善玉乳酸菌の働きで、腸内でのアンモニアの発生を抑える効果のあるヨーグルトは、数少ないタンパク源としても重要な食べ物である。大抵の犬は喜んで食べるし、粉薬を混ぜることもできる。自宅で作る場合は、雑菌が入らないよう気をつけなくてはならない。市販品でも多くの種類が出ているが、成分表示を確認して少しでもナトリウム含有量の少ないもの、寒天や香料などの添加物が含まれないものを選ぶ。
 肝性脳症の犬向けのタンパク源として推奨されるもののひとつとして、自家製カッテージチーズが上げられる。市販の牛乳に酢やレモンなどの酸を加えて、固まったものを布でこせば出来上がり。意外に簡単にできる。私も度々作ったが、症状の悪化とともにタンパク量を減らさなくてはならず、結局はヨーグルトを与えていた。定期的な血液検査で、体調に合ったタンパク摂取量を見極めるのは大切なことだ。
 そのほか、肉でアレルギー症状を起こす犬のための、植物性の原料だけで作られたドッグフード数種類が市販されている。国産、輸入物を問わず高価なのが難点だが、量的にたくさん食べられないのだし、嗜好性はいいので、犬の状態によってはお薦めできる。また、人間のアレルギー児用のミルクやお菓子は、卵、牛乳、肉類が使われていないものが多く、成分表示もきちんとされているので、体調に合えば大いに活用できる。

 これらの食物を与える時にもコツがある。原則的に、1度の量を少なめにして、回数を多くするのがよい。肝臓に栄養がためられないのだから、できるだけ少しずつ食物を摂って極端な空腹状態をさけることが、少しでも肝臓への負担を減らす。また、アンモニア等の肝性脳症を招く有害な成分の生成量を下げることも出来る。
 ニコラの場合、最終的には昼夜を問わず2時間おきに何か食べさせていた。時間の融通がきく仕事でなかったら、とてもできなかったのだが、いい状態を長く保てたのは食餌の内容に加えてそういう努力もあったからだと思う。

 また、軽い運動は筋肉量を維持するためにも続ける方が良い。アンモニアの代謝は筋肉でも行われ、筋肉量の多い方が、血中アンモニア濃度を下げられる。また、犬自身にとってもケージで安静にするより、気分の良い時には遊べる方が精神面でも良い影響がある。もちろん、疲れすぎは禁物なので、短い時間で切り上げ、身体への負担がかからないように注意する。


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 コミックの中の「シロさん」のその後はどうなったのだろう。シャントの状態によっては、あまり深刻な状態には至らないまま天寿をまっとうできることもあるらしい。
 菜食にせざるを得なかった愛犬2頭を思うとき、同じように野菜と果物しか食べられなかった彼女のことを考える。どうか、その後も「変わった犬」というだけで、静かな一生を送ってくれていることを願う。








《付録》門脈シャントの犬へのアミノ酸投与について

 ニコラのクオリティー・オブ・ライフの向上に一役買ったのが、犬用に調整したアミノ酸サプリメントだった。動物性タンパクのような良質のタンパク質が摂れず、肝臓から全身にタンパク質を供給できないことは、肝疾患者にとって非常に困ったことなのだが、タンパク質をさらに分解した形のアミノ酸で摂ることで、血中タンパク量を維持することができる。
 人間用にはアミノ酸製剤が数種類作られていることを知り、最初はそのまま人間の経口用製剤を使ってみたのだが、血液検査の結果はあまり変わらなかった。考えてみれば、人間と犬では必須アミノ酸のバランスは違うのだから、人間用のアミノ酸製剤では犬が必要とする種類のアミノ酸を効率よく摂れるはずがない。必須アミノ酸各種は、総摂取量のうち一番少ないものの量に合わせて吸収され、他は排出されてしまうので、バランスよく摂らなければ意味がないのだ。
 そこで薬学が専門の犬仲間が犬に必要なアミノ酸を人間用製剤に足して使えるようにレシピを作ってくれた。足りない分のアミノ酸は、試薬でフォローすることになり、これまた別の犬友達が用意してくれた。試薬を一般人が入手することは極めて難しく、研究機関でもないかぎり買うことが出来ない。友人たちに恵まれたおかげで、これまで誰もやったことがない、門脈シャントの犬への専用アミノ酸サプリメントの投与が始まった。
 誰もやったことがない、ということは当然市販品もない。友人の指導のもと、人間用の製剤を見直した結果、犬には不必要な成分が多く含まれる人間用アミノ酸製剤は一切使わずにすべての成分を試薬で調合することになり、10種類の粉体の試薬を上皿天秤で量り、乳鉢で混ぜ合わせて「自家生産」した。
 最初は1日分を薬包紙で分けておき、目分量で数回に分けていたが、血液検査の結果と照合して投与量を増やしていった結果、1回ごとの分量をかかりつけの動物病院の機械で分包してもらうようになった。これで、かなりアミノ酸調合の際の手間が省けた。
 できるだけ純度の高い試薬を使ったため、費用がかさむという問題があったが、効果は素晴らしかった。進行が早く、余命は長くないと診断されたニコラが、3年間の闘病生活の多くの時間を、一見すると健康な犬と変わらないほど良い状態で過ごせたのは、アミノ酸の効果の現れだと確信している。
 この件については、アメリカのウェルシュ・コーギー専門雑誌「The Welsh Corgi Annual 2002」(Hoflin社発行)に「Experiences with Hepatic Encephalopathy」というタイトルで病気の経過を中心に、翌年の2003年版には「Care of Hepatic Encephalopathy」というタイトルで食餌療法とアミノ酸投与の状況について私の書いたレポートが掲載されている。
      日本国内でも「Info Vets」(アニマルメディア社発行)2005年9月号に、ニコラがお世話になった日本獣医畜産大学動物医療センターの鷲巣誠先生、鳥巣至道先生の執筆で、2003年版の記事の要約が紹介されている。

 犬の必須アミノ酸を調合して投与するという前代未聞の取り組みは、多くの方々のご協力で実現したものだった。肝性脳症の犬のための調合を考えてくれた友人、試薬を用意してくれた友人、最初は半信半疑のままでも見守り、手を貸して下さったホームドクター。

         本当にありがとうございました。


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